屋根裏の玩具箱  天の戴冠 

 

†MIND†

私の心を躍らせてくれた英雄たち

 


TENNIS


テニスに興味を持ちましたのは、はい、「エースをねらえ!」のコミックスからです!
いやぁ、いい作品です!
そして、実際の試合のTV中継を見るようになっていったのです。
もちろん、そのコミックスの中で語られもしているプレーヤーを中心に。
17歳のビヨン・ヴォルグは、とにかく強く、かっこよかったです!
が、気になったのは、主人公岡ひろみも目指す、女子のパワーテニス部門!
ビリー・ジーン・キング夫人と、その秘蔵っ子のマルティナ・ナブラチロワ!
ちょうど、アイスドール:クリス・エバートが頑張っていたところでしかたが、ああいうプレイはちょっと、
観ているには、つまらなくって…やぱり、単純に、前へ前へ上がってくる攻撃的テニスが、好きでした!

マルティナ・ナブラチロワ
(チェコスロバキア→アメリカ)

『鉄の女』
圧倒なその強さ!
スポーツ界で、私の最高に敬愛する女性です!
本当に大好き!

私をテニス会場へまで向かわさせてくれたのは、彼女だけです!
私のテニス観戦は、彼女に始まり…彼女に終わった
ありがとう!

ビヨン・ヴォルグ
(スェーデン)

『テニス界の貴公子』
鮮やかな見事な引き際で、26歳で引退した彼

そして、彼の勇姿は、伝説になった
それ以降、私は彼以上に魅せられる男性テニスプレイヤーには出会わなかった


F1 GRAND PRIX


F1との出会いは、87年から、フジTVで中継が始まったのを、たまたま観てしまったのが、キッカケでした。
見出してしまったら、割りと面白くって、その時に優勝したのが、マンセルでした。
そして、何となく、また偶然に、次の中継にも当ってしまったので、
次第に、気にして見るようになると、ドライバーも覚えてゆくし、段々とその世界に魅せられてゆくこことなったのです
何が面白いって、本人たちの実力ももちろんではありますが、
自分の力では、どうしようもない問題、とりわけマシンの性能の問題、天候、などなど、ひたすらの運なども
と、スポーツ(?)には、あるまじき、あまりな不公平さと、それでも、何が起こるかわかないスリリングさ!
たまりませんでした!
そんな中で、私は、
敬愛するプロスト先生愛すべきマンセル愛しきモデナ!に出会いました
サーキットに実際に行ったのは、
88年 鈴鹿(日本) 92年 マニクール(フランス) シルバーストーン(イギリス)
鈴鹿は、行こうと思えば、毎年でも行けたのですが…どうも、私の人々には鬼門のようで…
87年のマンセルのチャンピオンシップのかかった時には、レース前闘わずしての事故の怪我で帰国
88年、行ってみましたが、目の前で、マンセルはクラッシュするし、プロスト先生は、セナに抜かれるし、
一緒に行っていた友達は、セナと中嶋のファンだったので…嬉し泣きしてて、羨ましかった。
それで、すっかり、私は鈴鹿は危ない!と決めました。
なぜか、その後も、私の応援ぐりっと組さんは、鈴鹿でいいことなしでした。
が、すべてひっくるめて、私には、とても、いい大事な大事な宝物の想い出!

プロスト先生、マンセルも引退し、シューマッハなどにも興味を持ってはみたものの……
楽し過ぎた時間は、戻らない。それも、また、よし

ありがとう!F1!

アラン・プロスト
(フランス)

『プロフェッサー・プロスト先生』
最多勝記録保持者!その記録は、今も破られてはいないはず…だと思う
日本では、圧倒的な人気を得ていたアイルトン・セナのライバルであった為、

割りと「悪者」「悪人」呼ばわりされてしまっていました(;_;)
確かに、同じライバルではあれ、大胆で、わかりやすそうなマンセルと違って
その緻密な計算による「教授」の異名をとる彼は、気難しく、陰険な印象を与えてもいましたが

彼の本質は、そんなものではありません!と、私は、ひたすら、想っていました
87年、ドイツ、魔物が棲むというホッケンハイムの森
当時、常勝ホンダの牙城(ウィリアムズ・ホンダにマンセル&ピケ。ロータス・ホンダにセナ&中嶋)に、
ひとり、マクラーレン・タグ・ポルシェで闘いを挑んでいたプロスト先生!
珍しくTOPを独走していたのに、あとわずか4周というところで、燃料切れでSTOPしてしまって
マシンをおりてもなお、淋しそうに確認する姿の背中の哀愁
まだ、 F1初心者だった私は、前年度のチャンピオンであった彼を、そんな偉大な方だとは知らず
「何か、このおじさん、けなげ!愛しいかもしれない…」と想ってしまって…。
そこから、始まってしまったので、以降、どんなに色んなコトを言われようが、私は平気!
なおいっそう、先生についていきたいという想いを強めるのでありました!

ナイジェル・マンセル
(イギリス)

『大英帝國の愛すべき息子』
暴れん坊!帝王!などど、緻密で繊細なプロスト先生とは正反対のお方でした!
が、暴れん坊なのも、真っ正直で、小細工できない大胆な性格ゆえ!
とんでもないことになってしまっても、根に持たれも、持ちもしないような

サーキットを離れれば、口ひげも優しい、いいおじさま!
そのせいなのか、どうなのか?勝利の女神に、やっとかまっていただけたのは、大分遅く
その実力の割りに、チャンピオンシップをいつも間際で逃がしておりました為、
『無冠の帝王』などと長い間呼ばれておりましたが、
やっとチャンピオンをその手に掴むことになった年!私は、フランスとイギリスで、
彼が表彰台の真ん中に立つ姿、この目で観ることが出来ました!
シルバーストーンの表彰台の下で、「GOD SAVE THE QUEEN」を歌えたのは
ファン冥利につきて、あまりありました(;_;)

ステファノ・モデナ
(イタリア)

『シャイなイタリア人』
全然アイドルっぽい奴ではなかったのですが、私のアイドル!F1界の私の王子様でした
王様プロスト先生、帝王マンセルという確固とした存在の闘いの中で、くたくたになりながら
可憐に咲く野の花のような、彼のはにかんだ笑顔は
とてもとても、ほっとできる場所でした。
が、あのモナコで、3位、表彰台に立ったこともあるのです!


野球


箕島高校

78年、夏の甲子園、星陵高校との準々決勝、延長18回の名勝負!
あまりにドラマチック過ぎたその試合、星陵の堅田君に、箕島の石井君!
文字通りの死投!あまりに、痛々しいほどに…そして、最後に、勝利の女神が微笑んだのは、箕島の方へ

そして、高校野球の辛いところ…準決勝、決勝と、連日投げぬいて優勝した箕島!
それも、春夏連覇!
その時のバッテリー、石井君と嶋田君!最高でした!もちろん、ナインも!
ピッチャーが力でねじふせるというタイプのチームではなくって、
「打たせて取る」チーム。そのチームワーク、その守りは、素晴らしかったです!
こういう野球こそ、おもしろいんだと、教えてもいらえました
以来、高校野球だったら、もう、何がなんでも箕島!
ずい分、久しく、その名を、みかけないので…私は、甲子園が観れません

日本ハムファイターズ

未完 これからかきます


全日本女子プロレス


未完 これからかきます

ジャガー横田

デビル雅美

J・Bエンジェルス
山崎五紀
立野紀代

ジャングル・ジャック
アジャ・コング
バイソン木村

ブル中野

豊田真奈美

ラスカチョーラスオリエンタレス
下田美馬
三田英津子


J LEAGUE


 

ペレイラ

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エドゥー

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頑張れ!NIPPON!


吉田秀彦

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オリンピック

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冬季オリンピック

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