ヤツ

 

「あ、ダメだ。もう眠すぎる」

「え……。えーっ」

「おやすみぃ」

「お、おい!」

 

 ヤツは、ゆうべ、信じられない状況で眠り込んでしまった。

 それから、俺が、どれだけ苦労して、何をしたか、ヤツには全然わかっちゃいない。

 ヤツは、絶対的に、俺を困らせる為に、生息している気がする。そうだ。そうなんだ。

 

「クシュン。祥之ぉ」

「何だよ」

「寒い」

「俺に言うなよ、勝手に寝てるくせして」

「わかった」

「え」

 

 ヤツは、そのまま、また眠りに落ちた。やっぱり、信じられない。

 どうして、そこで、また眠れるんだ。寒いんだろうが。

 俺にさんざん、見せ付けてくれているつもりだったのか。ああ、確かに凄いよ。

 そう、すごく綺麗さ。うん。綺麗だった……。たまらなく、愛しかった。

 それは、俺が、何とかしてやるってことに、安心しきっているってことだよな。

 だから、裏切ってやりたかった。思いっきり、裏切って、裏切って、裏切って。めちゃめちゃに。

 壊してしまえばいいんだ。

 

 もう、裏切られたくはないよ。傷つきたくはないよ。だから、俺が裏切ればいい話なんだ。

 なのに、放っておけるわけがなかった。そう。どんなに、裏切られたって。

 いいや、それも違うんだよな。約束なんて何もない。ヤツは自由だ。

 放っておかないのは、俺の意志。離したくないのは、俺の意志。ヤツは何も望んじゃいないから。

 俺にだって、誰にだって。

 せめて望みがあるのなら、叶えてやれる自信はあるのに。たとえそれで、ヤツを失う結果になるとしてもだ。

 

 そっと毛布をかけて、見つめた寝顔に、落ちたのは、何だ?。

 どうして泣けてくるのだろう。

 冷たい涙じゃない。胸が詰まるけれど、暖かい涙。そう、ヤツが、俺のトコにいるって実感。

 そんなことで。馬鹿だよ、俺は。そして、やっと、眠りにつけた。

 ヤツの寝息を、子守唄に。

 

 目覚めた昼には、もう、ヤツの姿はなかったけれど。

 

                       1999.7.29